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この物語は、西暦2020年代が舞台のお話。
月面は、民間人が日常生活をするほどには開拓されていないが、科学者らが前線基地で月の調査をしているという設定。ちょうど、現代の南極大陸のような位置づけか。

ある日、月面で誰かの死体が発見される。
宇宙服で完全に身が包まれた人間の死体だが、身元が全く分からない。月面探査のスタッフならば、すぐに身元がわかりそうなものだが、該当者がいない。ちょっとしたミステリー仕立てで物語が動き出す。

その死体は調べれば調べるほど、謎が出てくる。
所持品に記されている文字を読むことができず、世界中のどこにも存在していない言語であった。しかし、その死体の解剖学的特徴は、地球上の人間(ホモ・サピエンス)と変わるところが全くない。

もっとも不可解なことは、死後5万年経過していると判明したことだ。
5万年前の人類といえば、およそネアンデルタール人の時代で、旧石器時代にあたる。どうしてその時代の死体が、先端的な宇宙服を着て、月面に放置されていたのか。

世界中の科学者が集まり、この死体の正体を追求するというのがこのSF小説のストーリーだ。


ふらっと入った本屋で、村上龍の短編集『トパーズ』を見つけて購入。表題作を読んだ。

売春婦が嫌いなタイプの男に買われてイヤな気分になったり、仕事の合間にちょっとウキウキするようなことがあったり、なんとなく自分の生き方を変えてみようかと思ってみても、結局は生まれ変わることはできず、それでもちょっとだけ清々しい気分になるという、そんな話。

15年前に一度、立ち読みしかけたことがあるのだが(後述)、その時はあまりに気分が悪くなって読むのをやめた。売春婦が主人公で、いろんな体液でグチョグチョになりながら男に弄ばれたという記述のオンパレードだからだ。当時の僕は、そういう小説を楽しむほどには、円熟した精神を持ち合わせていなかったのだ。

それなりに人生経験を積んできた今では、人生ってのはきれい事だけで片のつくものでもないということも、いろいろな思惑に基づいた堅気以外の商売がありうることも、男女の性的活動が少女マンガのように清潔なものだけではないのだということもわかってきた。そういう精神的涵養(もしくは、厭世的傾向)を得た現在では、「トパーズ」に描かれている人間たちの活動の生臭ささこそが、何よりの醍醐味だと思えてしまった。

「トパーズ」の文体も独特なものだった(他の短編は異なる)。1段落に1センテンスしかないという、特別な書き方をしている。読み始めたときは、句読点でダラダラと長い文章を繋げるばかりの上、1文ごとに段落を変えるとは、なんて酷い駄文なんだと思った。しかし、注意深く紙面を追っていくと、徹頭徹尾その調子だったので、意図的な表現スタイルなのだとわかった。

1段落に一つの長文しかないというスタイルは、つかみどころがなく、読み手を不安にさせる効果があると思った。読み手が文章から感じるその印象は、物語の主人公の心情に合致しているのだと思う。ストーリー内容で主人公に共感させるのではなく、文字の配置の仕方で読者の共感を生み出すという手法だと気づいた。主人公は売春婦であり、一般市民にとっては共感を抱きにくい対象だ。だから、ストーリーからは引き出すのが難しい共感を、文体を用いてサブリミナルに抱かせる手法なのだろう(先日、クイズで出題した原田宗典の「優しくって少しばか」も寝起きのボンヤリした感じを文章で表現しようとする作品)。


過去に一度読むのをやめた本だけれど、今こうして再会できてよかった。

小説の冒頭は、その作品における最初の山場であり、もっとも印象的な表現が用いられる場所であり、読者をぐっと惹きつける箇所であるはずだ。

読者は終わりまで全て読む義理はない。途中で面白くないと思ったら、そこで読むのをやめるはずだ。作品冒頭にすら面白いことの書けない作家は、その先を読んでもたかが知れているだろうと思われる。
だから作家は、小説の冒頭に心血を注ぐはずである。


そんなわけで、小説の冒頭1文を抜き出してクイズにしました。
いつもどおり、お暇な方はコメント欄で解答してみてください。できれば、著者名とタイトルを。

著者に重複はありません。クイズの順序は、引用部を続けて読むとなんとなくストーリーが続くよう、任意に並べただけです。


彩子さんに紹介してもらった、フィシュテルの『私家版』を読んだ。

彼女は映画版を推していたのだが、そちらは入手が難しかったので(価格の問題もあるし、懇意のレンタル屋にもなかった)、原作小説の翻訳版を読むことにしたのだ。

キャッチ・コピーは「本が凶器になる完全犯罪」。
冒頭の数ページを読むと大筋の手口は予想できてしまい、実際その予測もはずれない。

とはいえ、主人公を殺人に決意させるに至った因縁、完全犯罪達成までの用意周到な準備、断片的なピースを見事につなぎ合わせる文章構成と、三拍子が見事に揃っている。派手な客寄せシーンがあるわけでもなく、比較的淡々と物語が進行するのだが、退屈せずに読まされる(ただし、翻訳文のクセが僕好みじゃないところがあって、最初の1章を過ぎるあたりまでは少々の忍耐力が必要とされた)。

本日読了。
京都の祇園祭の期間中、毎年7月16日に行われる宵山(山鉾巡行の前夜祭)の一日をめぐるオムニバス。6編のストーリーには、それぞれ異なる狂言回しが存在するが、舞台も登場人物もオーバーラップしている。1話ずつ読んでも短編としてまとまっているし、全篇を貫く「幻想世界のふしぎ」も森見登美彦らしい世界観でぐっとひきこまれる。

3本目「宵山劇場」では、僕の大好きな小説『夜は短し歩けよ乙女』の名もなき登場人物の後日談が語られていて、旧作ファンへのサービスも抜かりない。京都市内が舞台というのは森見の定番だが、達磨だの鯉だのといった小道具も『・・・乙女』とオーバーラップし、なかなか微笑ましい。

あとびっくりしたのが、登場人物が京ことばをしゃべっていた。
京都が舞台なんだから、あたりまえじゃないか
とおっしゃる方もいるかもしれないが、僕の記憶する限り森見作品の登場人物は、京都人であっても標準語を話していたと思う。たったそれだけのことで、新鮮な作風に見えてしまった。

表紙もキラキラ☆していてきれいなことは報告済み
当方は祇園祭に一度も行ったことがないのだが、今年は出かけてみたいと思わされたりと、いろんな方面から楽しめる1冊だった。

知人宅のワンコちゃんと同じ名前の犬が主人公の小説、ガース・スタイン『エンゾ: レーサーになりたかった犬とある家族の物語』を読み始めた。

まだ5分の1くらいしか読んでないけれど、冒頭からものすごく面白い。

主人公はエンゾという名の老犬。彼がナレーターとなって、飼い主一家のヒストリーを語るという内容。

今読んでいるのは66ページあたり(全体で350ページほど)で、一家の大黒柱のデニーが、レーサーとしての栄光を掴み始めたところ。彼は幸せの絶頂なのだが、最愛の妻の体調がおかしいことに気づき始めた。娘はまだ4歳くらいで可愛い盛り。
実は、本書の冒頭には、犬のエンゾの終末期が描かれている。同時に一家の行く末も。ゴールを知りながら、一家の進む道を読んでいるわけだ。そのため、これから読み進むにつれて、次々と一家にたいへんなことが発生していくのだろうと想像できる。具体的には分からないので、興ざめするわけではないが。それで、僕は彼らの将来を不安に感じ、胸がモゾモゾとしてしまう。

一気に読んでから紹介しようと思ったけれど、全部読んだ後では平常心を失ってしまうくらい泣きそうな予感があるので、読書途中で紹介することにした。
この夏、絶対に読むべき本だと思う。おそらく。

バガージマヌパナス人生、初沖縄。
道産子である当方にとっては、国内で一番遠い地方であったわけで、これまでものすごく縁遠く思っていたわけだが。

実際来てみて、やっぱり自分のアイデンティティや文化的背景とはまったく異質だと思った。
地名の看板やコンビニ店員のネームプレートの漢字が全然読めないし、彼らの言葉が理解できないことがまれではないし、民家や公共施設の区別なくシーサーが飾られているのにビックリするし、ギターケースを抱えている人は一人も見かけないのに三線をスーパーのビニール袋に無造作に入れて歩いてくるおじさんとすれ違うし、ラーメン屋はほとんどないのに沖縄そばはあちこちで売ってるし。

とはいえ、ネガティブな印象を抱いているわけではないが。
ここまで、自分のバックボーンと異なる文化に浸かってみると、それはそれで小気味良い。

「あっけない幕切れ」

この言葉は生まれてこの方一度も使った記憶はないのだが、最近の当方のマイブームであるところの"すすきの探偵<俺>"シリーズの5冊目、『探偵はひとりぼっち』を読み終えたとき、僕は思わずそうつぶやいてしまった。
#脚色ナシ

事件の発端は、すすきののゲイバーに勤めるオカマが自宅マンションの駐車場で撲殺されたこと。彼(彼女?)はゲイというマイノリティ社会に参加しつつも、多くの人々から慕われていた。主人公<俺>ともたいへん親しく、主人公は彼の死の真相を探り始める。しかし、その事件の背後には大物政治家の影がちらつき、様々な妨害にあう。警察やマスコミも事件から手を引き始め、市井の人々も強大な権力に恐れをなし、主人公への協力を渋り始める。主人公は孤立無援で立ち回らなくてはならなくなる。


札幌すすきのを舞台にした探偵小説。
当方のような道産子のノスタルジーをくすぐるだけの陳腐な地方賛美小説だろうと思って読み始めたのだが、いい意味で期待はずれの大ヒット。
シリーズ1作目を読み終わり、すぐに本屋で2作目、3作目を購入(しかも、札幌ステラプレイスの三省堂書店で)。超ハマり中。

当方が札幌に縁のない人間だったら、たぶん絶対に読まなかった本だと思う。けれども、読んでみたらきっと今と同じようにお気に入りになっていた自信がある。
確かにすすきのローカルネタが多かったり、登場人物は流暢な北海道弁をしゃべるなどの特徴があるが、物語のプロットはしっかりしているハードボイルド系ミステリー。北海道に縁がなくても、楽しめる小説だろう。
親の遺言で「すすきのを舞台にした小説だけは読むな」などと言われているのでなければ、一読をお勧めする。

ちなみに、第1作『探偵はバーにいる』はラブホテルに出入りする売春婦とか、他人の唇の痕の残ったグラスが出てくる汚いスナックとかが出てくるので、潔癖系の人にはちょっと読むのがつらいかもしれない。
そんな向きには2作目『バーにかかってきた電話』をお勧めする。もちろん"汚い描写"は多々あるけれどトーンは控えめだし、殉愛・人情ものという仕上がりで読後感は悪くない。
実際、ネットの評判を見ていても、1作目よりも2作目の方がウケがいいみたいだし。僕も、両作は甲乙つけがたいと思う。


映画ドラマ化されて大ヒット中の小説『チーム・バチスタの栄光』の続・続編の『螺鈿迷宮』を文庫で読んだ。

上巻の方は、前作まででおなじみのメンバーがほとんど出てこないので、少々退屈だった。
とはいえ、前作『ナイチンゲールの沈黙』でも、いわゆるレギュラー陣はなかなか出てこなかったことを思い出した。最終的には"いつものあの人"が出てくるわけだが、ストーリーの前半は新登場の人物たちが話を進めていくというのが、このストーリーのスタイルだと今さらながら気づく。そう思い至ってみれば、退屈という評価は不当かもしれないが。
#なお、『チーム・バチスタの栄光』の田口先生も大局的に見れば脇役っぽいよね。

今回の『螺鈿迷宮』は、双子の女性医師、すみれと小百合が出てくる。序盤をボーっとして読んでしまったので、最後までどっちがどっちだかイマイチ頭の中で整理が付かないまま終わってしまった。
この二人の表裏一体さ加減は、どうやらストーリーのキモになってるようだから、これから読む人はきちんと注意深く読むことをお勧めする。
#この前まで連載していた"だんだん日誌"では、あんなに双子の違いに注意して文章を書いていたつもりの当方が、こういうミスを犯すとは。とほほ。

宮本輝の作品はほとんど読んだというトモエンジェルさんが、一番好きだと言っていた、宮本輝の『錦繍(きんしゅう)』を読んだ。

確かに、これは良い。
男女の後ろめたい過去と、決意を秘めた将来が、美しい日本語でゆっくりと語られていく。
読んでいて、本当に気持ちのいい小説だった。

10年ほど前に、スキャンダラスな事件に巻き込まれて離婚し、音信不通だった男女が、旅先の山形で偶然の刹那的な再会を果たす。女は、逡巡しながらも、正直な気持ちを打ち明けたくなって手紙を差し出す。

前略
 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした。私は驚きのあまり、ドッコ沼の降り口に辿りつくまでの二十分間、言葉を忘れてしまったような状態になったくらいでございます。


有名な文学作品は、たいてい印象的な出だしであるものだが、この『錦繍』の冒頭文も僕は一生忘れないんじゃないかと思う。

家で猫を飼っていたり、干支が寅であったり、野球チームは阪神を応援していたり(関西ではこう言わざるを得ない)と、ネコ科系動物派を自称する当方は、お馬さんにはまったく興味がないわけで。

ところが最近、某マイミクさんが札幌競馬場に足繁く通っていたり、別のマイミクさんが乗馬体験に出かけたり。そういや、某古い付き合いのおねーさんも昔競馬関係のWEBサイトで名を上げていたとか、いなかったとか。そんなわけで、にわかに当方の周辺でお馬さんが熱くなってきている。

ていうか、よく考えたら、北海道の胆振・日高地方で育った当方。このあたりには、静内、浦河、社台、千歳などの、競走馬の生産地がたくさんある。思い出したんだけれど、高校や予備校の同級生に牧場の息子ってヤツが何人かいた。中には、現在、競走馬の牧場で働いている知人もいたり、いなかったり。

馬に対して、これだけ間接的な関係がある当方なのだから、なにか馬にまつわることに手を出さなくてはいけないような気がしてきた。

そんなわけで、競馬伝説 Live!なるオンラインゲームで遊び始めてみた(無料でも遊べる)。自分で競走馬を育てるという、「ウィニングポスト」や「ダービースタリオン」っぽいゲームだ。


今、NHKのニュースとかで知ったんだけれど、瀬戸内寂聴が "ぱーぷる" というペンネームでケータイ小説を書いたんだって。
タイトルは『あしたの虹』で、ヒカルという金持ちのボンボンが父の再婚相手に惚れてしまう話だそうだ。

似たような話があったなぁと思ったら、源氏物語だ。光源氏と藤壺だ。ペンネームも紫式部が元ネタらしいし。

探してみたら、『あしたの虹』はここで読めるっぽい。

1889年に書かれたイギリスのユーモア小説『ボートの三人男』を読んだ。
タイトルにあるとおり、3人の男がボートに乗って数日かけてテムズ川を遡上していく。
なお、副題に「犬は勘定に入れません」とついており、3人の男のほかに犬のモンモランシーがいることも申し添えておく。

川登りに関する小説なので、どんなに壮大なアドベンチャーがあるのだろうかと、みなさんは思うだろう。
しかし、ひとつも血沸き肉踊るようなシーンはひとつもない。

タイトルが示すとおり、ニシノヒキヒコという男性の一生をとりあげ、彼にはどんな女性遍歴があり、彼の生い立ちのトラウマが何かということが語られる小説。
ただし、10の小編に分かれていて、それぞれ狂言回しが異なっている。各物語には、ニシノ氏と付き合った別々の女性が登場し、彼女らの視点からニシノ氏がどんな人物であったかが語られるというスタイルになっている。

このニシノユキヒコという人物、僕には結局つかみ所がなくて、なんだかよくわからない男だった。
しかし、「つかみ所がない」というのは多分間違った印象ではなくて、彼と交際のあった女性たちにとってもニシノ氏はとてもつかみ所のない男であったようだ。
けれども、そのつかみ所のなさが、女の子のハートをがっちりと掴んで離さないみたいだけれど。さらに、彼女らの独白によれば、ニシノ氏はハンサムで優しい紳士で、仕事もできるエリートっぽい落ち着いた男性らしい。これだけでずいぶんと女心をくすぐるんだろうけれど、女性の懐に入る甘え上手な上に、セックスも上手いらしいよ。その反面、どこか幸薄そうな影をたたえていて、そのミステリアスさが一層女の子を虜にするらしい。
もう非の打ち所がないですな。僕もあやかりたいくらいだ。

しかし、その完璧さが、女性にとってはちょっと重荷に思えてしまうことがあるらしい。
そんなわけで、ニシノ氏はいつも女性から一方的に捨てられるという悲しい目にあう。
#実際には、そのタネを自分でまいている(浮気性)ということも、コミカルに書かれてるけど。


ここまでニシノ氏をちょっと美化して書いたけれど、見る人が見れば、"だめんず" 何だと思う。
あんな男が世の中にいて、女性を独占していたら悔しいから、僕もニシノ氏をとりあえず「プレイボーイのダメ男」となじっておくことにする。

ただ、こんなことを書いてしまっては、女性の皆さんから抗議の声が上がるかもしれないけれど、女の子だってダメ男に惹かれてしまう気持ちってどこかにあるよね。
ちょっとキケンな臭いのする男に惹かれる気持ち。


有名な『あしながおじさん』をはじめて読んだ。
こりゃ面白い。

小中学校の女子が読む、子供向けおとぎ話だろうと勝手に思い込んでいた自分を叱りたい。
抑圧された社会に生きていた少女が、女性の権利も尊重すべきだという近代社会の中で自我を形成し自立していく物語だと思って読めば、そのテーマは現代でも通じる(通じるってことは、今の世の中が女性にとって理想的ではないということなのだが)。
もしくは、そんなに小難しいことを考えなくても、少女のカワユいプチ・ロマンスものとして、ホンワカと読める。

この作品のスタイルも特徴的で面白い。
主人公の女の子が、あしながおじさんに書いた手紙という形式になっている。大学入学から卒業までの、およそ4年間にわたる手紙によって全てのストーリーが語られている。

そもそも、主人公が手紙を書くことになった理由は、あしながおじさんにそう言われたからだ。
孤児院で育った主人公は、とある篤志家に文章の才能を認められる。そこで、その篤志家は、学費を全て負担して彼女を大学に行かせることにする。ただし、奨学金の条件として、主人公は篤志家に対して、毎月の様子を手紙で報告する必要がある。
その手紙が、小説『あしながおじさん』そのものになっているというわけだ。

松村邦洋沢尻エリカを使って連続ドラマを作れといわれたら、どうするか?

『精神科医・伊良部一郎』がぴったりではないかと思う。

第1話「イン・ザ・プール」はゲスト出演として筧俊夫を起用しよう。
主婦向け月刊誌の編集者である和夫(筧俊夫)は、原因不明の体調不良で伊良部総合病院にかかっていた。
内科の医師は様々な検査をするも、原因は分からない。
若い医師はついに、精神科での診察を勧める。

和夫は人気のない階段を下りて地階に向かう。
そこには「精神科」と書かれた古ぼけたドアがある。
おそるおそるドアをノックすると、中から
いらっしゃ~い
と甲高い声が聞こえてきた。

もうお気づきのことと思うが、ここ数日、森見登美彦の作品を読みまくっている当方がいる。

『太陽の塔』→『新釈 走れメロス 他四篇』→『夜は短し歩けよ乙女』と流れてきた。
たった今、「夜は短し歩けよ乙女」を読み終えた。

近代文学のような格調高く理路整然とした文体で、実在の京都を舞台に縦横無尽に書き連ねられるバカ話!

今まで、「抱腹絶倒」という言葉を言ったことも書いたこともないし、その言葉の意味するニュアンスもよくわからなかった当方であるが、この書でその意味を心の底から理解した。
そんなことは絶対にないだろうが、京都の四条河原町を歩いていて、色白でベビーフェイスで清楚な見ず知らずの女の子に
いつも alm-ore 読んでます!サインをお願いします!
と言われたら、色紙に座右の銘として「抱腹絶倒」と書いてしまうほどの勢いである。

『夜は短し歩けよ乙女』のページをめくる度、肩を揺らし、「くくくっ」と笑い声をもらし、目からは笑い涙がとろとろと流れたほどである。

全301ページの物語、1ページ当たり1mlの笑い涙、もしくは笑ったときに飛び出した唾、腹筋の躍動による汗等が流れたとしたら、全部で296mlの水分を放出した計算になる。
296cc といえば、今朝コンビニで買って飲んだアリナミンVのおよそ4本分弱である。


太陽の塔

もう一度、もう二度、もう三度、太陽の塔のもとへ立ち帰りたまえ。
バスや電車で万博公園に近づくにつれて、何か言葉に尽くせぬ気配が迫ってくるだろう。「ああ、もうすぐ現れる」と思い、心の底で怖がっている自分に気づきはしまいか。そして視界に太陽の塔が現れた途端、自分がちっとも太陽の塔に慣れることができないことに気づくだろう。
「つねに新鮮だ」
そんな優雅な言葉では足りない。つねに異様で、つねに恐ろしく、つねに偉大で、つねに何かがおかしい。何度も訪れるたびに、慣れるどころか、ますます怖くなる。太陽の塔が視界に入ってくるまで待つことが、たまらなく不安になる。その不安が裏切られることはない。いざ見れば、きっと前回より大きな違和感があなたを襲うからだ。太陽の塔は、見るたびに大きくなるだろう。決して小さくはならないのである。

(森見登美彦 『太陽の塔』 p.116)

太陽の塔を前にした時に我々が感じる畏敬の念を、これほど見事に捕らえた文章は、僕が知る限り他にはない。


クサくて、プラトニックな恋愛物語の大好きな当方である。

漫画なら「タッチ」や「めぞん一刻」であり、歌謡曲なら「木綿のハンカチーフ」や「Blue Moon Stone」をよく口ずさむし、テレビドラマなら「同級生」とか「男女7人夏物語」を挙げるし、文学作品なら「ノルウェイの森」とか「智恵子抄」だったりするわけである。

そんな当方のお気に入りリストに、「友情」が加えられた夜。

わが愛する天使よ、巴里へ武子と一緒に来い。お前の赤ん坊からの写真を全部おくれ。俺は全世界を失ってもお前を失いたくない。だがお前と一緒に全世界を得れば、万歳、万歳だ。

「友情」 下篇 9章

クサい、クサすぎる。
でも、いい!
ゾクゾクする。

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